歌唱時の筋肉の緊張弛緩(精神作用との関連性)

 

■日常の緊張弛緩

 私達の日常生活は緊張と弛緩とのたゆみない連続です。人間は昼にしろ夜にしろ、働いている時には、おおむね心身共に緊張しているものです(その軽重の度合はあるにしても)。また休んだり寝ている時には、特例を除いては弛緩しているのが普通です。これが自然の大法則です。

 心の緊張弛緩に伴い、ただちに反応をおこすのが、人体諸筋肉及び内臓器官です。その実証として、不快感または恐怖及び緊張感の際には、急に胃が痛くなったり、軽いめまいを生じたりする場合もあることによってもわかります。筋肉の場合には、肩が凝ったり、だるかったりする事でもわかります。ことに神経を常に使用する職業人は直接筋肉を使っていないはずなのにこの症状が激しい。というのも、精神の疲労は直接私達の身体各器官、ことに筋肉にきわめて重大な影響をあたえている事を意味します。歌唱の場合でも、このことは例外ではありません。

■歌唱時の緊張弛緩

 緊張だけでは、とうてい私達の心身は保つものでない事は今さらいうまでもありません。逆に弛緩だけでも身体がナマッてくるから、しっかりした心身の保持はむずかしいです。そのため『適度な心身の緊張弛緩こそは、歌唱上に重要であるばかりでなく、私達の健全生活上からも必要なことです。』

健全で確実な歌唱を歌うことを欲するには、まず平均のよくとれた心身の緊張弛緩をこそ学ばなければいけません。具体的に言えば、歌手自身が初めから終わりまで緊張、あるいは弛緩の連続であって、聞く方としては全く耐えられない。ことに演奏に未経験な者ほど、この手段を使う場合が多い。たとえば声楽の中には、まるでスピーカーから直接聞いているような大きな音量だけで始終歌いまくったり、また柔らかなソットボーチェだけで聞かせたりして音楽的感情の起伏に全く欠けるという例を、よくみかけます。聴衆とは、演奏会の場合には全く同体である事を片時も演奏者側としては忘れてはいけません。つまり聴衆を緊張、あるいは弛緩の連続で帰してはいけないという事です。

立派な歌い手と言われる人ほどそのような点をよく心得ていて、演奏会に望みます。つまり、音声そのものももちろん大切ですが、それよりは『私達人間同志の精神面のふれあい』をけっして見のがしてはならないという事です。

 つまり、

   精神の緊張弛緩

   身体の緊張弛緩

とは、ちょうど左右の手足のようなものであり、そのバランスを失う事は致命的です。それほど両者のつながりは深いといえます。つまり大きな声、または俗にいう良い声さえ出していれば誰でも歌手になれるか?といえばそうはいかない。大きな音、または大きな声を欲するなら、サイレンやスピーカーから流れ出る声を聞いていれば満足できるわけですが、音楽とはそういうものではありません。どんなに強く、またたくましい声の持主であっても、音量ではとうてい機械にはかなわないことは明らかです。しかしオペラのような場合のあの歌手のすばらしいボリュームは、ただその人のボリュームだけのもつ魅力ではなくて、そこにはその人の音楽性(精神面の躍動)が多分に加味されて、私達に迫ってくるからこそ実音以上に大きく感知し、かつ感動させられるからにほかならない。

 しかし精神の緊張は、身体各部の筋肉の緊張かといえばそうではない。たとえ精神面は緊張していても、身体各部の筋肉は必要な筋肉を除いては弛緩している場合もかなりあります。逆に精神面では実にやわらかな感情表現を持っていても、身体全部の筋肉は非常に緊張している場合もあります(たとえば最高音におけるppp等がそれです)。そのため、上達するにつれて精神面の緊張弛緩をうまく調節し、交互に緊張弛緩させることさえ歌唱中にできるものです。ただこれは一朝一夕でなしうるわざでないことはもちろんです。

  (A)精神と筋肉とが一致して緊張したときの声

    イ.音が澄んで聞こえる。

    ロ.音声が強大である。

    ハ.遠くまで響きがとおる。

    二.聞く人の気持ちを明るくかつ興奮させる。

  (B)両者が弛緩した時の声

    イ.音がたるんで聞こえる。

    ロ.声がなんとなく弱々しい。

    ハ.遠くへ響きが届かない。

    二.聞く人に弛緩感をあたえ、暗く沈ませる。

 クラシックの場合では、普通マイクなどを使用して拡声することはしません。したがってどんなに大きなホールであっても、会場の隅々まで声が響き渡る事を要求される。しかし考えてみれば、私達の声帯の大きさはせいぜい1.5p〜2.5pという小さなものです。それを駆使して立派な、しかも強大な音声共鳴をえんとするためには、言うまでもなく諸筋肉の最大の緊張と精神面の躍動とによる強烈な連携なくしては、とうてい成立するものではありません。声帯筋だけの使用には一定の限度があるから、どうしても身体の諸筋肉の共鳴によるカバーが必要とされます。その協力なくしては声帯はいくつあっても足りないでしょう。

■発声上に必要な筋肉の訓練法

 声帯をこわさず、しかも長時間強大な音声保持を行うためには、強い精神面の必要もさることながら、あくまで物理的に理論の成立する身体各部の諸筋肉の、合理的な養成こそもっとも大切なことです。ことに胴体部に位する諸筋肉は、他の諸筋肉よりさらに強くなくてはなりません。つまり私達の身体で一番共鳴する部位はといえば、胴体と言う事です。その胴体は横隔膜部位を中心として、上、下(胸部共鳴と腹部共鳴)の両共鳴にわけて考えることができます。一番よく共鳴するのはもちろん胸筋および背筋の作用する「胸部」です。しかし、音程の確実さ、呼吸の正確さ、また音量の強大さを要求するには、腹部共鳴の協力を除いては考えられません。なぜならば、腹部共鳴は大腰筋によって支えられ、かつ運転されています。しかも大腰筋は『胸部より上部にあるあらゆる共鳴体と腹部より下位にあるすべての共鳴体とのバランスを保つ位置にある』ことで、上部共鳴をこの橋を通過させることにより、さらに下部にも伝達拡大するという重大きわまる任務を帯びているからです。さらに大腰筋の特色は他の筋肉(胸筋および背筋、腹筋)のように直接には横隔膜とは関係がないので多少動いても横隔膜振動にはたいして影響がないことです。そのために音程、リズム、拍子はもちろん、音色、音量までこの大腰筋がつかさどることが一番理想的なフォームといえます。

 しかもこの大腰筋はある程度までと言うのではなく、そうとう強くなくては、とうていこれらの諸条件を満足させることは不可能です。ことにボリュームの点で劣る日本人あるいは東洋人においては、この大腰筋の強大さをさらに西欧人以上に要求されます。しかも体質面からしても丈夫であるようにぜひ改善されなくてはなりません。このことはどんなに大きなピアノよりも、たとえボディーは小さくても音質が緻密で音楽的に強く私達の胸にくるピアノの方が良いのと同じであって、自己の身体を声楽に最適であるように努めて作りあげるべきです。

■歌唱時に必要な精神面

 またすぐれた歌手も、まず自己の精神面も広く開拓することが必要です。つまり柔と剛の精神で、常に歌唱上にも発揮できるように日ごろから努めるべきです。また人間の機微がわかり、世の中のことをよく勉強しなくては、とうてい歌の持つ内容を汲みとることはできません。歌は遠い祖先から私達人間の血の中で育ちかつ生まれでたものであるからです。だから人間関係の機微が不明のようでは真に歌を論ずる事はできません。あらゆる人間体験こそ(良い意味での)、百の理論にまさる 音楽教師といえます。磨きのかかった精神面養成こそは、大成への着実な近道でもあります。

 また歌唱は決して快楽ではない。人生への挑戦であり、人生への絶唱であるべきです。 

 精神面は肉体面を、肉体面は精神面をと、それぞれにかばいあい、励ましあいながら更に、開拓しあって進んでこそ、はじめて大成するものであることを忘れてはいけません。

■感情表現

 また日本人は古来より自己の感情を顔や身体各部の動作に直接表現することをあまり好まない風習を身につけてきました。だから西欧人の日常におけるごく自然な言語動作でさえ、私達日本人からすれば『全くキザで恥ずかしく、見てられない』というように はじめはみられる違いない。しかし、これも西欧人の中にいれば、決してそれは不自然でないことが理解できます。なぜならば西欧には西欧の、東洋には東洋の昔からの伝統的風俗習慣があり、その風俗習慣による生活こそ それらのジェスチャーを生む母体だからです。外国の歌曲および歌劇などにみるジェスチャーは、ぜひとも一度は勉強しなくてはなりません。同じ曲を演奏しても、聴く人にジェスチャーが不自然でなく感じさせるような歌の解釈を持った歌手は、そうとうの人とみていいでしょう。またそのような ごく自然なジェスチャーが歌手自身も歌唱中にでてくることは決して悪いものではなく、それどころかその人の歌唱に一段の重厚さと幅広さとを与えるもので、この方面の勉強も決しておろそかにしてはいけません。

 音楽は心の舞踊です。心に躍動のない人は歌を歌う価値のない人です。たとえそのような人が歌を歌ったにしても一人自己満足にしかすぎず、とても多くの人を感動させることはできないでしょう。心の舞踊は自ずとその人の動作に表現されます。表現されたものがごく自然でかつ歌の内容と一致したときにこそ、はじめてそれが人々の胸に奥深い感動をあたえるものです。つまり歌手自身が歌唱中に覚えた感動が、意識するとしないにかかわらず、自然に劇中の動作として表現され、それこそ劇中の人物になりきって詠唱されてこそ、はじめてなしうるのです。稚拙な演技とは歌手自身がまだ演技に未習熟である場合をのぞいては、たいていのものは歌唱に気をとられすぎたため、いきおい手足および身体の動きが不自然になることからおこるものです。日本のように1つのオペラがわずかしか回数をもたない国であっては、歌手自身がようやく歌唱になれ、これからいよいよ演技に心をくばるという段階に至る時には既に終わりということでは、上達する事はなかなか困難なことです。まずそのことは別にしても、最初はその道の専門家から正しい動きを学びとる事が最も重要です。その後は自己の応用という事になります。

 

 

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